~ 知恵特集: 五節句とは~
重陽の節句」>「初節句」

~ 五節句とは、伝統的な年中行事を行う季節の節目となる日 ~
五節句とは | ![]() |
![]() 江戸時代に「重要な年中行事」として「年に5日」の式日 (現在の祝日みたいなもの)が制定されました。 その目的はこの選ばれた日(五節句の式日)に大名に将軍のところへ 挨拶に訪れさせることで幕府の権威を示すというものだったみたいです。 伝統的な年中行事を行う季節の節目となる日であり、 五節句の「節」というのは、唐の時代の中国の暦法で定められた 季節の変わり目のことで、中国暦(太陰太陽暦)で言う 一年を二十四の節目に分けた「二十四節気」を補うものとして 定められたものの一つで、暦の内でも最も気候の変わり目が 激しい節目に当たる五つの節を付設し、それと、暦の中で奇数の重なる日を 取り出して、「奇数(陽)が重なると陰になるとして、それを避けるための 避邪(ひじゃ)の行事が行われたことから、この期を無事に過ごせるようにと 季節の旬の植物から生命力をもらい邪気を祓い無病息災の 厄祓い日とした風習が日本に伝来したものです。 この中国の暦法と日本の農耕を行う人々の、風習が合わさり定められた日に、 宮中で邪気を祓う宴会が催しされるようになり 「節句」と言われるようになったそうです。 |

5月5日「端午の節句」:「こどもの日」 | ![]() |
![]() | ![]() 端午というのは、 もとは月の端(はじめ)(月初め)の 午(うま)の日という意味で、5月に限ったものではありませんでした。 しかし、午(ご)と五(ご)の音が同じなので、 毎月5日を指すようになり、やがて5月5日のことに なったとも伝えられます。 古代中国では、 5月を物忌みの月として嫌いました。 特に5が重なる5月5日を事のほか特別な日と 考えて邪気を払うことに専念しました。 この風習が日本にも伝播し、菖蒲(しょうぶ)や 蓬(よもぎ)を軒下にさして、邪気を払うようになったようです。 |
古来よりの宮廷での端午の行事も、時が鎌倉時代の武家政治ヘと移り変わってゆくにつれ、だんだんと廃れてきました。 | |
端午の節句は勇ましい行事の要素が強い節句で、各地で開催されている、邪気を払うという言い伝えからショウブやヨモギを軒にさし、菖蒲湯に入り、粽(ちまき)や柏餅(かしわもち)を食べる慣わしがありました。 武具、甲冑(かっちゅう)、武者人形などを飾って男児の健やかな成長を祈る。 また、庭前には鯉のぼりや吹流しを立てて祝う。 この日、競馬(くらくらべ)や流鏑馬(やぶさめ)、印地打(いんじうち)=石合戦、凧上げなど 武術を競うような勇ましい行事があり“勝負”という言葉と“菖蒲”が似ているからでしょうか。 端午の節句の『兜』は、始め植物で作られていたみたいで、鎌倉時代には菖蒲兜、室町時代にはヒノキ兜を作っていてそれを門前に置いていたみたいです。 (門前に置くことで邪は家の中に入れないと考えたのでしょう) |

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中国は黄河の上流にあるという竜門の急流を、さかのぼることができた鯉は龍に化するという古代中国の故事・伝説から、「鯉の滝り ![]() したがって、5月5日の端午の節句に鯉のぼりを飾る理由は、の子の立身出世を願う親心の表れなのです。 しかし今のように普及したのは結構最近のことで戦後だそうです。 | ![]() |
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端午の節句の食べ物としては、柏餅やちまきを思い浮かべます。 柏餅:柏の木は、 ちまき:餅だんごを茅の葉で包んだもので、やはり柏餅と同じく、 | |
![]() 端午の節句は別名「菖蒲の節句」とも言われ、 | ![]() |

![]() | ![]() 昔の、5月5日の端午の節句の日、 麝香(じゃこう)、沈香(じんこう)、丁字(ちょうじ)などの香料(薬)を玉にして綿の袋に入れ、 糸で飾り、菖蒲(しょうぶ)、蓬(よもぎ)の葉などを編んで玉のようにまるくこしらえ、五色の糸を長く垂らして、またこれに、菖蒲や蓬などの花をさしそえて飾りとし簾(すだれ)や柱などにつけた。 それを薬玉といった。 |
昔の人にとって薬玉は、文字通り薬の玉であり、その薬の力で不浄を払い邪気を避けようと意味のもので、5色の糸が使われているのですが、この5色は陰陽五行説に基づいているみたいですね。 現在ではイベント用の装飾、運動会や祝典で使われる薬玉(割り玉)を指すことが多く、もはや薬の玉という意味はない。 | |
本来の、薬玉には真・行・草の3種があります。 真は、紅白のさつきの中央に柏の葉と香袋を配し、 蓮と菖蒲をあしらったさがりを付けてあります。 行は、四季の花の中央に柏の葉と香袋を配したものです。 草は、球形に四季の花を配し球の芯に薬香を入れ、球の下にさがり花を付けたそうです。 般に、「真」は宮中、「行」は公家、「草」は民間とされてるそうです。 |
子供の日とは
「こどもの日」は、国民の祝日の一つとされる。5月5日のことですね。
子どもの権利を尊重し、成長を祝うことなどを目的にした記念日で、
「こどもの人格を重んじ、こどもの幸福をはかるとともに、母に感謝する」ことが
趣旨であるとされている。
1948年に制定された、「こどもの日」は、
男の子だけでなく女の子も同じようにお祝いされる権利を持っています、
女の子だけの家庭では、菖蒲など季節の花を飾り、ヨモギ餅や柏餅を食べ、菖蒲湯に入って健康を祈る点は同じですね。
なぜ、「菖蒲」なのかは、
菖蒲の葉は香りがよく、根は胃を丈夫にすることから菖蒲を重宝するようになりました。
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7月7日「七夕の節句」 ~七夕に願いを込めて~ | ![]() |
![]() もしくは7月15日(旧暦)に行われていた日本中では数少ない星を祭る行事です。 七夕は、皆様よくご存じの、牽牛(彦星)と織女(織姫)の星伝説を思い浮かべますよね。中国産ですね。 日本では古来からあった「棚機つ女(たなばたつめ)」の伝説との類似性から七夕の日として定着したようです。 元来、盆行事の意味合いが強く、先祖の霊を迎えるための禊の行事という意味もあります。 七夕(たなばた)とは7月7日の夕方を意味しています。 | ![]() |
![]() グレゴリオ暦(新暦)の7月7日「梅雨の時季」に行う地域と、 二つめが旧暦の7月7日と 旧暦のお盆の8月7日「立秋の時期」(主に東日本・北海道と仙台の七夕祭りなど)に行う地域に分かれてしまいました。 七夕祭りは一年に3回各地域で催されておりますね、「(新暦)の7月7日に雨が降ったとしても、織姫と彦星は、あと2回デートのチャンスがあるので大丈夫ですね!!」七夕の日に降る雨、ロマンチックで夏の夜のロマンですよね。 その雨にちゃんと名前があり牽牛(彦星)と織女(織姫)の涙に準えて「催涙雨(さいるいう)」もしくは、「酒涙雨(さいるいう)」と呼ばれます。 気象的にも、天の川が美しく見える時期は、「梅雨の時季」より旧暦の7月7日は立秋の時期で七夕祭りにはいちばん良いようです。 現代では、各地で行われている七夕行事は、本来の神事との関わりも薄れ、商業イベントと、夕方から夜にかけての花火という組み合わせが殆どで、伝統的あるいは神事としての七夕の風習に頓着せず行われている事が多いようです。 | |
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夜空に輝く天の川のほとりに、 天帝の娘で織女と 呼ばれるそれは美しい天女が住んで居ました。 織女の織る布はそれはみごとで、 五色に光り輝き季節の移り変わりと共に 色どりを変える不思議な錦です。 お化粧一つせず、 恋をする暇もない娘を不憫に思い、 天帝は、天の川の西に住む 働き者の牽牛という牛飼いの青年と 結婚させることにしました。 こうして織女と牽牛の 二人の結婚生活が始まりました。 しかし、織女は牽牛との暮しに夢中で 機織りをすっかり止めてしまいました。 天帝は腹を立ててしまい、 織女を再び天の川の岸辺に戻して、 機織りに専念させる事にしました。 「心を入れ替えて一生懸命仕事をするなら 1年に1度、7月7日の夜に 牽牛と会うことを許してやろう」と 二人を引き離しました。 織女は、父天帝に背く事もできづ、 天の川の東に帰って行きました。 それ以来、二人は働いて働いて... 7月7日を待ちました。 ところが、2人が待ち焦がれた 7月7日に雨が降ると、 天の川の水かさが増して、 織女は向こう岸に渡ることができず、 2人は天の川の東と西の岸辺にたたずみ、 川面を眺めて涙を流すのでした。 そんな2人を見かね何処からともなく かささぎの群が飛んできて、 天の川で翼と翼を広げて橋となり、 織女を牽牛のもとへ渡す手助けをしてくれました。 このお話は中国で生まれ 日本に語り伝えられた伝説です。 | ![]() 織女(織姫)& 牽牛(彦星) ![]() 天の川のほとり |
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古くには、笹のまっすぐ伸びた様やその擦れ合う葉音が神を招き、笹は先祖の霊が宿るとも言われ、 夜空に願いを込め、笹竹に五色の短冊や願いことを書き記した詩集などをくくつけ飾りますね。 この七夕飾りは飾ったあとに「七夕送り」「七夕流し」として海や川に流していました。 七夕とは芸事の上達を祈るという意味が強い節句で、今のように笹が出てくるのは江戸時代中期です。 しかし今みたいに短冊だけでなく梶の葉を正方形の紙に包んだものや直系5㎝ぐらいの赤いちょうちんをぶら下げていたみたいです。笹の葉に願い事を書いた短冊を吊るすようになったのは江戸時代からと言われています。 現在は、幼稚園や保育園また、商業施設で飾られる程度となり各家庭で七夕飾りを目にすることが少なくなりました。 | |
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![]() 笹飾りには赤、青、黄、白、紫(黒)の五色とされ、それぞれの短冊に願い事を書いて飾りつけるもの。 五色は中国の五行説「木、火、土、金、水」が起源だと言われている。 ![]() 織姫の糸を模った長寿を願って飾りつけられるもの。 ![]() 病や厄災から守る身代わりと裁縫や学問、技芸の上達を 願うために飾りつけるもの。神様に捧げた着物ということから、笹飾りをする時は一番上に飾りつける。 | ![]() |
![]() 巾着はかつてのお財布。お金がこぼれない様に紐でしっかりと結び倹約と貯蓄の精神を培 う意味があり、商売繁盛を願う飾りでもある。 江戸時代の大店や問屋では大福帳を笹に飾りつけ往来に笹飾りを立てつけていた。 ![]() 漁師の生活の糧である魚を獲る網で、豊漁(大漁)と豊作を願う飾り。 ![]() 笹飾りを作った後のくず入れ。物を粗末にせず、倹約と清潔の精神を培う飾りつけ。 ![]() 家族の長寿を願う飾りつけ。家族の年長者の年齢分だけ折って飾りつける。 |

9月9日「重陽の節句・「菊の節句」 | ![]() |
![]() | 「重陽」とは、9月9日(現在では10月にあたり)にあたり、 菊に長寿を祈る日です。五節句の一つ。 旧暦の9月9日だったが新暦の9月9日に変わった。 陰陽説(おんみょうせつ)では9は目出度い数字の陽の中ででも最も良い数字といわれ、陽数(奇数)のうちの最大数の九が重なるこの日を重陽といって大変目出度い日とされた。 奈良時代のころに、「菊花の宴」として宮中で行われたのが始まりとされ、臣下たちに菊酒や氷魚を振る舞い、臣下たちの労と健康を願った宴を催していたようです。 |
一方、庶民の間では、収穫の時期と合わさっていたこともあり「お九日」として 祝われるようになりました。 現在は、他の節句と比較すると重陽の節句は一般的に実施されなくなりましたが、長崎県の「長崎おくんち」や佐賀県の「唐津くんち」などの祭また、今に残る菊人形展や菊の品評会などは重陽の節句の名残が見て取れます。 現代、民間にはさほど定着していないのは、旧暦から新暦にこよみが移り、まだ菊が盛んに咲く時期ではなくなってしまったことが大きいのかもしれません。 菊の花びらに付着した花粉には抗酸化作用と制癌作用を持つビタミンCや抗酸化作用 菊を活ける |
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